ただ純粋であれ


私が血迷って何にでも手を出したと人は思うだろうか?

今思えばすべて自然に行われていった。毎回自分の信ずるところに向かって歩いた。

詩を書くから詩人なのではなく

詩人が書くのが詩なのであった

この説から借りるとすれば、

私がやることが私なのであった。

(つまりそれがアートだろうが写真だろうがデザインだろうが文学だろうが、カテゴリーはもう関係ないのだ。私がやることがいちいちどこの分野に入るのかなど。そしてそのお蔭で私はどこからもさして認められなかった)

デザインを通り現代美術の方へ歩んだことも、その背景にいつも写真という裏道があり、美術的写真から真実を抉り出す写真の本質に迫ったのも。そしてそのまま美術という創造とは全く逆に位置するところに写真の本質を見たのも。(それはぐるっと回って世界の裏側に突き抜けたようなものだった)そしてそれが真理かどうかなんてどうでもよいことなのだ。

私が誰にも命じられず自分でその道を選んだことがすべてである。

願わくば今やり残しているのは、私が「創った」ものでどこまで私自身の可能性をさらに広げられるか ということだろうか。

ただ純粋であれ

夜よ 月よ 風よ 君らがそう在るように

探求するのはカテゴリーではなく 世界でただひとつ 己自身なのだから 2016 Milano


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