1920年代のアパート

Aggiornato il: gen 21


わたしはミラノ北西、俗に言うピアッツァフィレンツェ/チエルトーザ方面にあるアパートにもう10年以上住んでいる。

1920年代にムッソリーニがまだ駆け出しの善良政治家であった頃「カーサデルポポロ」という、お金のない労働階級に向けてこの辺り一帯に住居を建てたらしい。というのは初めてアパートを見たとき不動産屋から聞かされた話だが、10年近く信じていたこの逸話はいつも怒っているカラブリア人の門番に覆された。彼に言わせれば建物自体は130年くらい前からあったとか。どちらにせよ当時この地域がムッソリーニの息が掛かっていたのは確かのようだ。斜め前にある警察庁の威圧的な建物は、其の当時ファシスティのものだった。

「塔の上とそれぞれの窓の下にアッシャ(ファシズムの象徴の斧)が付いていたよ。今は取り除かれて無いけどね」

角の老舗肉屋の証言である。彼は子供の頃からここに住んでいるので色々なことを知っていた。

「この先に高架道があるだろう?あの辺は初期のアルファロメオの工場がずっと先のほうまで並んでいたんだ。あの辺り一帯は第二次世界大戦のとき当然爆撃されて跡形もなくなったよ。なんたってアルファロメオだったからね」

笑顔を絶やさないこの肉屋はいつもジモティー年寄りが列をなして買う高価で上質な肉を売っている。しかもいつもこの老ジモティー達は、肉を買うより彼と話がしたくて店に行っているようにしか見えない。店の中に、1910年台のこの界隈のモノクロ写真が飾ってあり、其のうちの一枚は私の家の前の更地を羊飼いが50匹ほどの羊を追いやっているところを、かなり上空から撮影したものだ。

さて私の住まいに話を戻すが4mほどの高さを誇る木製の大門をくぐりカラブリア人門番の前を通ると、一本杉そびえる中庭を囲むようにして人間の尺度に合わせたような高さの4階建てアパートが(日本の数え方だと5階建てになる)がA~G棟までぐるりと区切られている。私のは奥の最も日当たりが良いD棟、2階である。70㎡ビロカーレは文字通り2部屋(ビ=2 、ロカーレ=部屋)と食事をする共同サロット、1人分の幅しかない意味不明に細長いキッチン、一畳ほどのスペースに所狭しと洗面所トイレ,ヴィデ、1㎡ほどもない狭すぎるシャワーのみのの風呂場。そしてバルコニーがある。もとは家具なしのがらんとした空のアパートを、当時の私はカールというフランス人の男の子と一緒に借りて共有することにした。

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