今日は4日金曜日。今週は最近やっている仕事、倉庫からの呼び出しはなかった。5日には家賃として600€振り込まなければならないが、銀行には604€しか残っていない。追い討ちをかけるように50€のガス代請求書が来た。電気代のそれと併せると計3通の請求書トータル180€ほどの滞納になる。冷蔵庫の中は大事に1本づつ食べていたサルシッチャの最後の一本以外は調味料だけになった。いっそのこと冷蔵庫の電気を消してしまおうか。冷蔵庫横のソファーベッドで寝ているので時々電子モーター音がうるさくて寝付けなかったので、丁度良いだろうか。しかし私は思い直して最も常温近くに設定した。冷たい水くらいは飲みたいからだ。

いま手元に現金が15€ある。全財産ともいえる。今日明日主食にするものを購入しなければならないが、そろそろトイレットペーパーがなくなる。この間のように新聞紙にするか。(用を足す時、紙を使わず丸い石を使う話を読んだことがあるが、アフガニスタンだったか?)牛乳は昨日なくなった。ということはコーヒーが飲めない。朝食用ビスケットもない。つまりいつもとっているカフェラッテとクッキーの朝食が取れないことを意味した。オイルも終わった。これでイタリア料理もベースがない。砂糖もない。これで日本料理もきびしい。まぁどちらにせよ材料も無いが。こちらの強い石灰質の硬水を中和するために使っていた重曹もなくなった。あれが無いと身体を洗う時に肌がボロボロになる。昨日まで小さなポルト酒用のグラスに氷で薄めながら飲んでいた赤ワインももうない。今夜ワインが無いのはきつい。この時点で趣向品のタバコやお菓子は論外である。このような状況で何を最も優先して買うべきだろうか。まだパスタやお米は蓄えがある。飢え死ぬことはあるまい。日本の昔を物語る文献では1日2食、握り飯に漬物が常用食だった時代があったわけで、DNAが覚えているかもしれない。

偶然かもしれないが、捨てようとしていたラレプッブリカ(イタリアの新聞)をめくってみて、ある記事が目に留まった。それは内戦下のシリアHomusで、薬屋を営んでいた60歳ほどの女性が、「墓地」に生えている野草を食べながら、戦禍を700日間生き延びた話であった。戦争の為、食べるものが手に入らないのだ。彼女は体重が20キロも減り、幻覚が見えるまでになっていた。レポルタージュをやっていて身についたことの一つは、様々な世界の状況をリアルな目前の出来事のように感じ取ってしまう感受性である。私には彼女が墓の横に生えている草をしゃがんで積んでいる光景が見えてしまう。

Dignità*とは何だろうか。戦争は、確実にそれに巻き込まれていく人々の、人間としての尊厳をすり減らしていく。私にはまだある。しかし墓場草を積んでいく彼女からは零れ落ちていったものだ。

こちら側の誰が見ても今の私の状況は決して思わしくは無いものだが、あちら側に比べればなんでもないのだ。こうしている間にも近くで爆弾が落ちる恐怖や、突然武器を持った男たちが家に乱入してきて、身包みを剥がされ、辱めを受ける恐怖、愛する人たちがある日突然、跡形もなく消えてしまったり、死んでしまう恐怖、病院も警察も、国の機関そのものが全く機能しない無秩序な状況下で、電気もガスも、食べるものさえろくにない世界を生き延びている人々に比べれば、今の私の現状は、全く大したことないのだ。 2007 © 2017-2022 Nagayoshi Kei All Rights Reserved

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