レポルタージュ

眼が痛い。今日見た「IL SALE DELLA TERRA」というドキュメンタリ ーは写真家セバスチャン・サルガドのプロジェクト「Genesi」を含む写真家として の半生とその仕事の深さを見せつけてくれたが、その一枚一枚の写真に込められた彼の、 人間としての問いかけが私の心に刺さりいちいち涙を誘ったからだ。フォトレポルタージ ュに携わる者として私には彼がどんな思いでシャッターを押したのか普通の人よりもわか る。その場所に行き、そこで起こっていることを把握し、それに巻き込まれ、怒りや悲し み、脅威、感動、尊厳をもって撮っていった写真。それは倫理に対する問いかけや怒りで もあり私が写真を通してたどり着いた駅だった。忘れたわけではないが私は今そこから遠 ざかったところにいたのでまた再び強く呼び戻されたのだった。ルワンダの大量虐殺とユ ーゴスラビア紛争のレポルタージュの後、彼は酷い心の病に陥ったと言葉少なげに語って いた。エチオピアでミイラのようになって目前で死んでいく子供たち、20000もの 人々がルワンダで消えたのを目の当たりにして、ただ一人の人間がどうやってそれを消化 できるのだろう。 私がいつも思うのは、世界で起こっていることをニュースや情報としてただ知っていると いうことと、実際にその場にいて見た人間の感じたものとの差は計り知れないということ なのだが レポルタージュについて理解しているおかげで私の心はずっとカメラマンに近 いのでその気持ちは少しはわかるつもりだ。こればかりはやってみないと分からない。そ してその経験が私たちに与えるものは、残念ながらその写真を見ている人間が得るものよ りもずっと強い。それらの状況は写真に焼き付ける前に眼に焼きつき生々しく自分の中に 残る。その体験と見てきた状況を仮に多くの人の前に提示できたとしても、そしてそれが この仕事の使命だとしても、それによってその現状の中にいる人たちを直接救えるわけで はないことに対するジレンマを背負っていく。強靭な精神が要求されるのだ。 私は2010年セルジョ・ラマゾッティのワークショップに参加してその数ヵ月後に日本 で信じられない地震災害が起こったとき、本能的に今まで習ってきたことを実行するべき だと思った。初めは通訳として現地に赴く人々、救急隊もしくはジャーナリストの役に立 とうとしたが、結果的にはカメラを取り現地の状況を伝える役割を背負うことにした。 セルジョは若くしてフォトジャーナリストになろうというときにある先輩にこういわれた と私に語ってくれた。「ジャーナリストになるということは常に怒り苦しむことを意味す る。その覚悟があるか?」彼は答えた。「もちろんさ」 私はジャーナリストではないしそのような教育を受けてはいない。私はただ写真に対する 興味からおのずと世界の真実を抉り出すレポルタージュに眼を向けるようになり深入りし ていった。日本では見ることの無いものだったので理解するのに何年もかかった。知れば 知るほど私にはこの仕事は無理だとも思っていた。足りないものが多すぎた。大抵は若い ころから始めていてジャーナリストとしての教育を受けている者、そうでなくともその心 意気のようなものは持っていて、レポルタージュに関しては混沌とした世界から特殊なス トーリーを見つけ出し、調べ上げ、写真を使って掘り下げていく。世界中を回るなら2~ 3カ国の言語は当然使いこなせなければならず、体力、行動力は秀でていなければならな いし、どんな危険があるところでも立ち回れなければならない。男の仕事だと思っていた が今では女性でもすばらしい仕事をする人がいる。例えばステファンニヤ・シンクレアー というアメリカ人の女性カメラマンがいる。私が彼女の写真を始めて見た時、度肝を抜か れた。アフガニスタンの戦場で負傷し帰ってきた兵士とその婚約者との結婚式の写真であ る。若い花嫁の横に立っているのは火傷のせいで溶けて完全に顔の原型が分からなくなっ ている花婿だった。この写真はwppで・・・年に賞を取ったものだが、彼女は戦場に行 かずとも戦争の恐ろしさを強く提示した。そしてそれ以上に人間の強さを見せ付けた。あ なたは自分が愛する人の顔が溶けて体に大きな不自由を抱えても変わらず愛し続けること ができますか?今思えばあの写真は私に何かを強く問いかけていた。それは本当にモラル _倫理だったのかもしれない。 イタリアのフォトジャーナリスト フランチェスコ・ジゾラは「写真」という分野の中で レポルタージュと他の写真を区別するものはただ一つ「Etica」だと言い切った。E ticaとは倫理 道徳のことだがその言葉で私にもはっきりとそのあり方が見えてきた ように思えた。境界のようなものだ。レポルタージュは倫理を「説いている」のではなく 「問いかけ」である。必ずといっていいほど見ている私たちにそのテーマを提示し問いか けているのだ。人としてのあるべき道-道徳とも言える問いかけである。 「わたしは遠いアフリカの可愛そうな子供たちより身近にいる隣のお婆さんのことのほう が気になるのよ」セルジョの奥さんが私に優しくそう言ったことがある。 私は少し傷ついてこう言った。 「私は日本で生まれたけどそれは私が選んだことではなかったわ。でもそれには別に後悔 してないし日本は戦争も終わっていて私には両親がいたし家もあったし食べ物にも困った ことは無かった。あなた方だってイタリアに生まれたのはあなた方の好き嫌いに関係なく 自分の選択ではなかったはずよ。そしてこの世界の誰一人として自分の生まれる国や環境 を選ぶことは出来ない。今どこかで生まれたアフリカの子供だって、水が無く飢餓に苦し み内戦が続く場所を自分で選んで生まれたわけではないわ。そのように考えればそれが私 だったかもしれないと思うことができないかしら。そうすれば彼らの運命に同情すること だって、出来ると思うの」 「あなたはセルジョと同じようなことを言うのね」 「一度行ってみればわかることさ。たった一度ね」 セルジョはそういってロレッラに微笑みかけた。 2011年バレンタインデー。フォトジャーナリスト セルジョ・ラマゾッティの家でそ の10年来の伴侶であるロレッラと夕食を共にしたときにわたしは初めてそれまで考えて いたことを人に話した。私は彼らの写真を撮りながら、この平和なひと時と、世界の裏側 で起こっているギャップの事を考えざる終えなかった。

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もし寺山修司が書いていたように「芸術の歴史の大半が、道徳との戦いだった」のだと仮定すれ ば、今から私がやろうとしていることは今まで写真でやってきた倫理と道徳 人道的なものから 全く正反対の、いや、もしくはかけ離れたものになるのではないかと思われます。 あの作品たちは古くから私の中に巣くっていた「謎」私から生まれた、私でさえ知らないナンセ ンスで不可思議なものたちなのですから。 わたしはこれらを使

12 月 25 日、ちょうど 12 時 30 分をまわったところだ。 イタリア中の食卓が一年のうちで最も贅沢に賑わうこの瞬間に、ミラはラジオをつけた。戦後の 貧しい時代、一年に一度のナターレ(クリスマス)に子供たちに美味しいものを食べさせようと、 手長海老、サーモン、アラゴスタなどの高価な魚介食材を「分割払いで」購入し、出稼ぎから帰 って来たある男が、ちょうど駅のプラットホームに降り立った。という