ポルトガル人メモ

2004~2006年



ジーナ


アズレージョ工房のまかないのジーナは小さくて丸くて男勝りだが、気立てが良く何よりも3人の娘が自慢である。3人の娘たちは3人とも父親が違う。ジーナの3人の夫は皆彼女に暴力を振るった。彼女の若い頃は本当に女優のように美しい。何度も同じ事を繰り返して言うのが癖だが、酒が入るとそれに拍車が掛かる。真っ赤になってファドを歌いだす。彼女の料理は素朴なポルトガルの伝統料理で美味であり、元は4星レストランでシェフ頭を務めていた。しかし彼女は其の頃のことを振り返ってこう語る。 「儲けは良かったよ。でもあの仕事は私から家族を引き離してしまった。夜遅く家に帰っても娘たちは寝ていて話も出来なかったし、朝早く出るときは、彼女らにメモを置いて出て行かなければならなかった。家族との触れ合いがなくなって私の人生は終わったようなものだった」 そんな彼女も工房に新しく出来るレストランで働くことになりそうだ。 「ジーナ フルイイショウ キル、ボウシカブル ロバヒキ クルマ コドモタチ ノセル、キンタデアンジョ アッチノヤマ パルメラ グルットマワル、モドル、レストランツレテクル ミナタベル、ヨル ジーナ、ファドウタウ、ジーナ ファド トテモウマイ」

彼女はとても信心深いカソリック教徒でもあり日曜日には必ず教会へ行く。

 

ジョージ

ジョージはアズレージョのタイルや壺、皿、あらゆる生活用品を型から起す作業をしている。フランス語でしか私と話そうとしない。ある金曜日。 「 良い週末を!僕は母と父がいるGOLEGAへ狩りに行くのさ」 「狩り?」 彼は木製の取手が付いたライフルの写真を見せてくれた。 「何を狩るの?」 「イノシシさ」 私は嫌な顔をした。彼が笑う。 「君は豚を食べるだろう?鶏だって。誰かが其の豚を殺すから君はその肉を食べることが出来るのさ」 「でも自分で殺すのは嫌だわ」 「同じことだね」 彼は冷ややかに言い放った。 「僕が獲りに行くイノシシは野生だからとても美味しいんだよ。でも今日のような日、こんな風が吹いている時は狩りには向いていないね」 「どうして?」 「奴らはものすごく頭がいいし鼻も敏感なのさ。1km離れた所でも僕の匂いを嗅ぎつけてとっとと逃げてしまうよ。どんな小さな音だって立てたらダメなんだよ。足音はおろか、汗ばんだ手を洋服にこすり付ける音だってだめだ。無音のまま構えて一発で仕留めるんだよ。とっても難しいんだ。僕は昨年たった一匹しか仕留められなかった」


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