フォトレポルタージュについて

フォトレポルタージュについて 今日 日本では「フォトレポルタージュ」についてどのくらいの人が認識しているのだろ うか。どちらかというとドキュメンタリーフォトとか報道写真などいう言葉で言い表され ているかもしれないが、実際にその定義は深くヨーロッパ人ならたいてい誰でも知ってい る。なぜならこちらヨーロッパで普通に新聞、雑誌に日々掲載される様々な「ストーリー」 (レポルタージュ界でそれぞれのテーマをこの様に呼ぶ)はこちらの生活の中に溶け込ん でいるからだ。それらのストーリーは人間と人間を取り巻く世界について語っており、そ の根源に流れる精神のようなものは日本ではまだあまり生活の中で意識されてはいないの ではないかと思う。 なぜそう思うのか?それは2011年に日本に帰国した際、日本国内で出版されている一 般雑誌という雑誌をめくってみて痛感したことだ。日本に行くにあたってミラノのフォト レポルタージュを扱うエージェンシーに頼まれ彼らのフォトストーリーを掲載できるよう な雑誌を探して売り込んでほしいといわれていた。もっともメジャーで売れ線の女性雑誌 の中にはレポルタージュに該当するようなものがほとんど皆無と言っていいほどで それ らはファッション、デザイン、有名芸能人、インテリア、流行のショップやレストラン、 夢のようなトラベルなど読者の気分を良くするような情報内容のみを掲載しそれ以外の、 例えば人道的な問題などは意識的に排除されていている。実生活には関係が無いといわん ばかりである。それらについて語るのは報道写真を扱うジャーナリズムに則った出版物の みなのだ。しかも残念なことにレポルタージュを扱っているごく僅かな雑誌はアメリカや フランスに存在するそれをただ訳して編集しなおしたものがほとんどあった。なぜこんな にはっきりと一線を引くのだろうか。日本は何でもきれいにカテゴリー分けするのが好き だが私が思うに人々の欲望を象徴するような雑誌の中に人道的な問題などを介入させるな ど不謹慎だという考え方が根底にあるのではないか、と思う。私もそのような考えを無意 識に埋め込まれたままイタリアに行き新聞社が出す女性雑誌を広げて眼から鱗が落ちたも のだ。そのヨーロッパの編集のあり方が正しいかどうかは問題ではない。これはそれぞれ の人種が持つ意識のあり方が象徴的にごく一般向け雑誌の中に現れていたということで、 私個人にとっては大きな意識の革命でもあった。

3 visualizzazioni

Post recenti

Mostra tutti

眼が痛い。今日見た「IL SALE DELLA TERRA」というドキュメンタリ ーは写真家セバスチャン・サルガドのプロジェクト「Genesi」を含む写真家として の半生とその仕事の深さを見せつけてくれたが、その一枚一枚の写真に込められた彼の、 人間としての問いかけが私の心に刺さりいちいち涙を誘ったからだ。フォトレポルタージ ュに携わる者として私には彼がどんな思いでシャッターを押したのか普通の人よ

もし寺山修司が書いていたように「芸術の歴史の大半が、道徳との戦いだった」のだと仮定すれ ば、今から私がやろうとしていることは今まで写真でやってきた倫理と道徳 人道的なものから 全く正反対の、いや、もしくはかけ離れたものになるのではないかと思われます。 あの作品たちは古くから私の中に巣くっていた「謎」私から生まれた、私でさえ知らないナンセ ンスで不可思議なものたちなのですから。 わたしはこれらを使

12 月 25 日、ちょうど 12 時 30 分をまわったところだ。 イタリア中の食卓が一年のうちで最も贅沢に賑わうこの瞬間に、ミラはラジオをつけた。戦後の 貧しい時代、一年に一度のナターレ(クリスマス)に子供たちに美味しいものを食べさせようと、 手長海老、サーモン、アラゴスタなどの高価な魚介食材を「分割払いで」購入し、出稼ぎから帰 って来たある男が、ちょうど駅のプラットホームに降り立った。という