イタリアの冗談は笑えない



イタリアの冗談に笑えない。

イタリア語が堪能でなかった頃は、単に言語的な問題かと思われた。母国語以外の言語を、勉強や移住などで苦学習得した者にしか分からないと思うが、レベルが高くなっていく時点で 政治的議論や医学に関する内容などよりもさらに理解するのが難しいのは、冗談や詩といった ただ言語に精通してるだけでは解読不可能な分野である。「冗談を訳すのは困難極まりない」と著名翻訳家がぼやいているのを聞いたことがある。逆説的に言えば、その国のネイティブ冗談に心から笑えれば、君はその国の言語にかなり精通しているといえよう。

しかし、ある程度其の内容を理解できるようになっても、やはりイタリアの冗談に笑えない。なぜだろう。レベルが低いのか?イタリアには日本で言ういわゆる「お笑い」といった感じの分野があるように見えないが 人を笑わせることを仕事にしているコミコとよばれるコメディアンのような人たちは存在する。アルド・ジョバンニ・ジャコモという人気コメディアングループは、其の中でも割りと好きだし若干笑えるが、フィーキディインディア などは私には全く分からない。有名どころでベッペ・グリッロというのがいるが、その毒舌と痛烈な政治批判が高じて政治家になった人物だ。映画の中ではトトー、ファントッツイなど、イタリア人なら誰でも知っている喜劇俳優である。前者は50年代のエレガントでずるがしこい男を演じるのが得意だった。後者は70年後半から80年代の下品でエロくて情けない男のどたばたコメディ。IRENEというTV番組の笑いは冷ややかで、どちらかというと皮肉に満ちた怖い笑いだ。

笑いという観念が既に違うのだろうか。

これは言語や歴史文化的知識云々ではなくて、単に民族性が関係あるのではないだろうか。つぼが違うのではないか。「私の夫はミスタービーン見てもぜんぜん笑えないし不愉快にさえなる」というリディアの話を聞いて、イギリス人的笑い(アングロサクソン系)とイタリア的笑い(ラテン系)の笑いは、同じヨーロッパ人でも違うのだろうかと疑問視したことがある。これを読んでいる世界のお笑い研究家がもしいたら、是非掘り下げてもらいたい深いテーマである。

おなかが痛くなるまで笑っているイタリア人を見た記憶はほとんど無い。しかしマウロは別だ。 彼は私の数少ない男友達の一人でナポリ出身、建築学科を出て現在フォトグラファーをしている。といっても同棲している彼女の方が稼いでいてヒモのように見えなくもないが、いつも私に親切な彼には何かしらの才能があると期待している。

そんな彼に以前、IKEAで購入したマットレスや机を車で家まで運んでもらったことがある。彼は分解されている机のピースを、ついでだからと親切にも組み立ててくれた。机の4つ足をたいそう丁寧に組み立てているのを見てもっと適当でもかまわないと言うと、

「いや、僕の性分なんだよ。親父もよく家の半地下で、机や椅子を手作りしていたの見てたから」

そういえば彼のお父さんも建築家なのだ。イタリアでは、ゼロから建物を建てる計画自体珍しい。必然的に建築家の仕事は、内装や建築デザインの一環である家具やプロダクト製品などに広げていかなければ食べていけない。建築家としての名を確立したければ海外に出るしかないのだ。レンゾピアノ、マリオボッタ・・みんなそうだった。話を戻そう。

「あ!面白いエピソードがあるんだよ!」

マウロが机を組み立てながら思い出したように声を上げた。

「ある日親父が机を作っていて勢いあまって左手の指をこう、ザクっと半分くらい切り落としてしまったんだよ。電動ノコギリで。それで病院にいかなければいけないんだけど(笑)この手じゃ運転できないなって思ってね、母さんに頼むことにするんだ。でも彼女がこのことを知ったらびっくりしてパニックになるだろうから、取れた指を包んで右手で後ろに隠し、左手に布を巻いて何食わぬ顔で「ちょっと切っちゃったから病院に行きたいんだ。運転頼むよ」ってな感じで彼女のところへ言いに行ったっんだ。母さんも「「しょうがないわね」って病院に連れて行ってやった。後で親父が左手の指半分切り落としてたことを知って、大目玉だったんだよ!」

げらげら笑いながら話しているマウロに、わたしは青くなって言った。

「私、その話笑えないんだけど」

「E’ una battuta! 」(ちょっとした笑い話だよ!)

「で、左手はどうなったの?」

「どうもこうも、そのままだよ。ちょっと不便そうだけど、いいんだよ!親父は何かというと其の話を持ち出して、みなのうけを狙うんだ。みんな大笑いさ」

彼は私の固まった表情を見てこう付け加えた。

「悲劇と喜劇が表裏一体だろ?これがナポリなんだ。いや、イタリア的ともいえるかな」

「オペラには喜劇と悲劇しか存在しないんだ」これはある友人のオペラ歌手が、オペラについてまず初めに説明してくれた時の言葉だ。オペラの発祥の地はイタリアである。私はヴィスコンティやフェリーニ、パゾリーニの映画の中に、この悲喜劇が上手く取り込まれているのに気づき 改めて感心したものだ。笑いがきわまって寂しさがきざすところに情緒を感じる というイタリア人の気質。あるいは悲劇を喜劇にすり替えて笑い飛ばすナポリ人のマウロを通して、私はまた一つイタリアの謎が解けたような気がした。 2017年4月


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