もし寺山修司が書いていたように

もし寺山修司が書いていたように「芸術の歴史の大半が、道徳との戦いだった」のだと仮定すれ ば、今から私がやろうとしていることは今まで写真でやってきた倫理と道徳 人道的なものから 全く正反対の、いや、もしくはかけ離れたものになるのではないかと思われます。 あの作品たちは古くから私の中に巣くっていた「謎」私から生まれた、私でさえ知らないナンセ ンスで不可思議なものたちなのですから。 わたしはこれらを使って復讐するつもりなのです。

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眼が痛い。今日見た「IL SALE DELLA TERRA」というドキュメンタリ ーは写真家セバスチャン・サルガドのプロジェクト「Genesi」を含む写真家として の半生とその仕事の深さを見せつけてくれたが、その一枚一枚の写真に込められた彼の、 人間としての問いかけが私の心に刺さりいちいち涙を誘ったからだ。フォトレポルタージ ュに携わる者として私には彼がどんな思いでシャッターを押したのか普通の人よ

フォトレポルタージュについて 今日 日本では「フォトレポルタージュ」についてどのくらいの人が認識しているのだろ うか。どちらかというとドキュメンタリーフォトとか報道写真などいう言葉で言い表され ているかもしれないが、実際にその定義は深くヨーロッパ人ならたいてい誰でも知ってい る。なぜならこちらヨーロッパで普通に新聞、雑誌に日々掲載される様々な「ストーリー」 (レポルタージュ界でそれぞれのテーマをこ

12 月 25 日、ちょうど 12 時 30 分をまわったところだ。 イタリア中の食卓が一年のうちで最も贅沢に賑わうこの瞬間に、ミラはラジオをつけた。戦後の 貧しい時代、一年に一度のナターレ(クリスマス)に子供たちに美味しいものを食べさせようと、 手長海老、サーモン、アラゴスタなどの高価な魚介食材を「分割払いで」購入し、出稼ぎから帰 って来たある男が、ちょうど駅のプラットホームに降り立った。という