「Due」(2)解説



“Essere tra le foto”のコレクションは元々私が秘かに集めて楽しむためだけのものであった。それだけで満足だったし、作品群とするには写真的に弱いこともっていた。 コレクションをプロジェクトと呼ばないと業界ではもっともらしく見えないので、発表が絡む時はそうしているだけである。

特に計画性がなく、作ろうとして出来るものでもなかった。楽しむためには偶然性が重要な鍵でもあった。なぜなら前に撮った写真を考えながらそれに見合う写真をその後に撮る ということをやってみると、Ditticiの数は増えたが、同時につまらない写真群となり さらにコンタクトから見つける楽しさも消えてしまった。だから私はこのコレクションにおいて必然性より偶然性を重視したのだった。面白いのは、本気でやっていたFotoreportageとは間逆の性質を持っているところである。Fotoreportageは一眼レフデジタルでカラー写真、ストーリーに的確なイメージを撮っていかなければならなかったし、何よりも人のために、社会のために、倫理のために撮っている傾向があった。それに比べてEssere tra le foto は私だけの個人的な写真であり、必然性は全くなく、なぞなぞやクイズのように軽いゲーム感覚でやっていたからである。

しかしコレクションを始めてからはどうしても2枚のつながりを意識して撮影してしまうことがあった。だから1Scattoと1Scatto を撮る間を長く空ける方法が割りと良かった。それから撮っているときに出会う偶然も取り入れることにした。いい例が「Due」(2)である。

私の写真にポルトガルで撮影したものが多いのは、お金がなく已む無く出稼ぎに行くことが多かったからだが、私はそこで焼き物を作るアシスタントをやっていた。写真は休憩の暇つぶし程度に撮っていた。

仕事の合間にカメラを持って殺風景な田舎の一本道を歩いていると、かの地でよく見かけるコルクの木々が目に付く。コルクはポルトガル産業に重要な素材の一つである。コルクの木々は皮を無残に剥がれ、剝いだ分の数字が幹に刻まれている。コルクの林を見るとなんともいえない、自然に対して人間が手を下した印が浮かび上がっているように見えた。

私は「3」と書き込まれている一本が、こちらに向けて両枝を広げているのを、何の気なく撮った。そして数百メートルまた歩いていくと、同道上で打ち捨てられたダンボールの箱に「1」と書かれているのに出会った。歩いている間に「2」がどこかにあったのかな?と考えながら、撮ったが、私はそんな日常の些細な偶然を楽しんでいたのだ。


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