「Ala」(翼) 解説



2枚の翼を複数形でAliと言うが、Alaは一枚の翼のことだ。左は地下鉄の売店の寂れたウインドーを無意識に撮ったつまらない写真だが、その後、もしくは数日後、リスボンのほぼゲットに近いゾーンで、私の近くのベンチに座っていた老人が、ふと立ち上がって細道に消える寂しそうな後姿を撮ったものである。2008年冬頃と記録されている。その頃いつもやっていた、葛藤とともに切るシャッターの一つだ。「私が撮らなければ誰も気に留めない人々」を撮ったつもりであった。言うまでもなく、翼とは失った右脚の比喩である。


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